とうたく 仲穎 ちゅうえい
隴西郡ろうぜいぐん ] (? ~ 192) 
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董 卓(とう たく、? - 初平3年4月23日(192年5月22日))は、中国後漢末期の武将・政治家。涼州隴西郡臨洮県(甘粛省定西市臨洮県)の人。字は仲穎(ちゅうえい)。父は董君雅(『英雄記』)。母は池陽君。兄は董擢(『英雄記』)。弟は董旻。子は男子数名と女子一人(牛輔の妻)。甥(兄の子)は董璜。孫娘は董白(『英雄記』)。 辺境の将軍の1人にすぎなかったが、軍事力を背景に次第に頭角を現すようになった。霊帝死後の政治的混乱に乗じて政治の実権を握り、少帝を廃して献帝を擁立し、一時は宮廷で権勢をほしいままにしたが、諸侯や他の朝臣らの反感を買い、最期は側近で養子になっていた呂布に殺された。『三国志』魏志及び『後漢書』に伝がある。 事跡 青年期と地方官時代 生まれつき武芸に秀で、腕力が非常に強く、馬上で左手と右手を両方使って弓を引くことができたという。 若いころは男伊達を気取って、羌族ら異民族の居住地を放浪し顔役らすべてと交流した。後に郷里に戻り農耕に従事したが、羌族の顔役たちが面会に来ると、董卓は農耕に使う耕牛を殺し、その肉で宴会をしてもてなした。

董卓が登場する文献

ちくま学芸文庫「正史三国志」の : 1-16~25,1-28,1-72,1-82,1-92,1-159,1-212~213,1-246,1-373,1-407,1-449,1-451~453,1-456~458,1-461,1-470,1-485,1-498,1-500~501,1-506,2-9~12,2-14~16,2-18,2-25~27,2-29,2-40~41,2-43,2-47,2-60,2-62~63,2-65~66,2-68~69,2-74,2-78,2-81,2-90,2-92,2-121~122,2-142,2-159,2-233~234,2-239,2-267~268,2-270,2-282~283,2-306,2-313,2-352,2-405,2-427~428,2-470,3-54,3-80,3-104~105,3-153,3-196~197,3-200,3-212,3-495,3-497,3-503,4-17,4-224,4-278,5-15,5-17,5-28,5-52,5-54,5-57,5-76,5-105,5-210,5-215~216,5-250,6-13~20,6-22~23,6-25~26,6-35,6-43~44,6-47,6-64,6-124,6-239,6-277~278,7-12,7-48,7-110,7-112,7-158,7-160,7-219,7-251,7-362.

董卓の一族

No Data