とうがい 士載 しさい
義陽郡ぎようぐん ] (197 ~ 264) 
テキストコピー用

ウィキペディア ウィキペディアで トウ艾 を調べる

鄧艾(とう がい、拼音 Dèng Ài、生年不詳 - 264年)は、中国後漢末期から三国時代の魏の将軍。字は士載(しさい)。荊州義陽郡棘陽県(河南省新野県)の人。子は鄧忠・その他二名。孫は鄧朗・鄧千秋。曾孫は鄧韜・鄧行。内政・軍事問わず多くの功績を挙げ、姜維の北伐を幾度も防いだ。晩年には蜀征伐を行ない、劉禅を降伏させた。 若き日 吃音であったが、知略と強い意志力を兼ね備えていた。幼くして父を亡くし、曹操が荊州を征した時に故郷から連行され、汝南の屯田民とされた。12歳になったとき、母に連れられ穎川に赴き「文は世の範たり、行ないは士の則たり」と書かれた陳太丘碑文を読んで、自ら名を鄧範、字を士則と名乗った。後に、一族で同じ名をつけた者が出たので、名を鄧艾、字を士載と変えた。12、3歳にして県から召しだされて役人となり、同い年の石苞とともに襄城典農部民に配属された。ちょうど陽翟出身の謁者である郭玄信が御者を探していたので、典農司馬は石苞と鄧艾を与えた。郭玄信は、彼らと語り合いながら十里あまり歩くうちに気に入り「あなた方は後に九卿・宰相に昇るだろう」と言った。

鄧艾が登場する文献

ちくま学芸文庫「正史三国志」の : 1-321,1-335,1-357~359,3-407,3-479~480,4-178,4-216,4-245,4-267,4-295,4-297,4-299~300,4-303~304,4-306~307,4-309,5-83~87,5-150,5-152~153,5-173,5-176,5-266,5-306,5-348~349,5-378,5-387,5-390,5-414,5-425~427,5-429~430,5-432,5-454.

鄧艾の一族

No Data