ちょううん 子龍 しりゅう
常山国じょうざんこく 真定県しんていけん] (? ~ 229) 
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趙 雲(ちょう うん、拼音 Zhào Yún、? - 229年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍。字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。父と兄の名は不詳。 生涯 『三国志』趙雲伝の注に引く『趙雲別伝』(現在は散逸)によると、趙雲は身長八尺(約184cm)で、姿や顔つきが際立って立派だったという。故郷の常山郡から推挙され、官民の義勇兵を率いて公孫瓚の配下となった。 公孫瓚が、青州で袁紹と戦っていた田楷の援軍として劉備を派遣した際に随行し、劉備の騎兵隊長となった。 上記『趙雲別伝』によると、後に趙雲が兄の喪のために公孫瓚の下を辞して故郷へ帰ることになった時、劉備は趙雲が自らの下にもう二度と戻って来ることはないだろうと悟った、とある。(192年に常山郡は袁紹の統治領となった) 建安5年(200年)、劉備が袁紹を頼って来ると、趙雲は鄴で久しぶりに目通りし、密かに募った数百人の兵を連れて劉備の配下となった。

趙雲が登場する文献

ちくま学芸文庫「正史三国志」の : 5-41,5-49,5-74,5-84,5-93,5-96,5-113,5-127,5-132,5-185,5-469.

趙雲の一族

子:趙統
子:趙広