そんこう 元宗 げんそう
山越さんえつ ] (242 ~ 284) 
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孫 皓(そん こう)は、三国時代の呉の第4代皇帝。『三国志』において、本名は孫晧。祖父は、初代皇帝孫権。父は孫権の第3子で皇太子に立てられていたが廃された南陽王孫和。子に孫瑾(太子)・孫虔(魯王)・孫充・孫璠他。『三国志』呉志「三嗣主伝」に伝がある。 生涯 即位前 生母の何氏は丹陽郡句容の人である騎兵隊長何遂の娘で、父の仕事場を見物しているところを偶然孫権の目に止まり、孫権の命令で後宮入りし、孫和の妻とされたという(『三国志』呉志「孫和何姫伝」)。赤烏5年(242年)に孫皓が生まれると孫権は喜び、彭祖という名前を与えた。 第2代皇帝の孫亮の時代である建興2年(253年)、廃立後長沙に押し込まれていた孫和は孫峻と全公主(孫魯班)のために新都郡に強制移住となった上で、自殺を命じられた。孫和とその正妻の張氏(張承の娘)は自殺し、何氏が孫皓と孫和の遺子の養育に当たった(『三国志』呉志「孫和何姫伝」)。 第3代皇帝の孫休が即位すると、孫皓は烏程侯に封じられ、任国に赴いた。西湖の平民の景養が孫皓の人相を占ったところ、高貴の人物になる相であるという結果を得たため、孫皓は密かに喜んだが、他人に漏らすことはしなかった。

孫晧が登場する文献

ちくま学芸文庫「正史三国志」の : 1-366,6-27~28,6-161~162,6-178,6-186,6-194,6-296,6-300~305,6-328,6-330,6-339,6-341,6-401,7-20~21,7-40,7-42~45,7-156,7-213,7-295,7-301~302,7-312,7-336,7-338~339,7-344,7-349,8-17~18,8-24,8-26~28,8-36~37,8-148,8-153~156,8-158~159,8-167,8-174~175,8-180~181,8-189,8-193.

孫晧の一族

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