きょう 伯約 はくやく
天水郡てんすいぐん ] (202 ~ 264) 
テキストコピー用

ウィキペディア ウィキペディアで 姜維 を調べる

姜 維(きょう い、建安7年(202年) - 景元5年1月18日(264年3月3日))は、中国三国時代の人物。魏・蜀漢に仕えた。字は伯約。涼州天水郡冀県の出身。父は姜冏。妻は柳氏。子孫に唐の姜恪がいる。 生涯 出生 姜氏は代々「天水の四姓」と呼ばれる豪族だった。幼少時に、郡の功曹だった父が異民族の反乱鎮圧に従軍し戦死したため、母の手で育てられた。郡に出仕して上計掾となった後、召されて雍州刺史の従事となった。その後、かつての父の功績が取り上げられて、中郎の官を贈られ、天水郡の軍事に参与することになった。 蜀への降伏 228年、蜀の諸葛亮が北伐にて接近した際、太守の馬遵とともにその偵察に赴いた。ところが各県の降伏を耳にした馬遵は、配下の姜維達も諸葛亮と内通しているのではないかと疑い、上邽に逃亡した。姜維らは彼を追ったが城内に入ることを許されなかった。このため冀県に戻ったが、そこでも受け入れてもらえなかったため、取り残された姜維らは行き場を失い、仕方なく蜀に降伏した。

姜維が登場する文献

ちくま学芸文庫「正史三国志」の : 1-303~306,1-309,1-321,1-335,1-357~358,3-478~483,4-182~183,4-218,4-220,4-269~270,4-273~276,4-282,4-295~297,4-299~300,4-302~306,5-81~84,5-87,5-89,5-128~129,5-139~140,5-151~152,5-191,5-266,5-285,5-291,5-297,5-339,5-353,5-405~406,5-412~413,5-420,5-441,5-447~448,5-451~453,5-481,5-483,8-105~106.

姜維の一族

No Data