りゅうひょう 景升 けいしょう
山陽郡さんようぐん 高平県こうへいけん] (? ~ 208) 
テキストコピー用

ウィキペディア ウィキペディアで 劉表 を調べる

劉 表(りゅう ひょう、漢安元年(142年) ? - 建安13年(208年)8月)は、中国後漢末期の政治家・儒学者。字は景升(けいしょう)。兗州山陽郡高平県の人。前漢の景帝の第4子である魯恭王劉余の子孫。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。 生涯 当初は何進に仕えた。 霊帝死後に詔勅によって荊州刺史王叡の後任に任じられ、劉表は任地に向かった。 しかし、長江南岸は土豪が割拠していたため、州治である漢寿に赴かず北部の宜城に入り、蔡瑁・蒯越・蒯良らと図って不穏分子を鎮圧し、荊州北部を支配下に治める事に成功した。(後に州治を宜城近くの襄陽に移している。) 初平元年(190年)、各地で反董卓の義兵が挙げられると、劉表もこれに加わった。 初平3年(192年)、袁術の意を受けた孫堅が荊州に侵入した。劉表は黄祖に命じてこれを防ぎ、袁紹と同盟して対抗した。黄祖は苦戦したが孫堅を討ち取り、荊州を守り抜いた。(襄陽の戦い) 初平4年(193年)、李傕らが実権を掌握する朝廷から、劉表は仮節・鎮南将軍・荊州牧に任じられ、また成武侯に封じられた。

劉表が登場する文献

1-28,1-35,1-37,1-51,1-55,1-64,1-67~69,1-73,1-83,1-474,1-483,1-486,1-499,1-506,2-35~36,2-42,2-123,2-160,2-243,2-245,2-250~251,2-255~256,2-271~272,2-274,2-286,2-289~291,2-405,2-407,3-30~32,3-54,3-102,3-165,3-214,3-242,3-245,3-253~254,3-281,3-301,3-384~385,3-415,3-422,3-424~425,3-463~464,4-9,4-31,4-35,4-46,4-60,4-315,4-338~339,5-12,5-16,5-23,5-36~42,5-44,5-52,5-91,5-102,5-107~109,5-167,5-173,5-184,5-223,5-225,5-229,5-231,5-233,5-249~250,5-286,5-303,5-309,5-329,5-459,6-26,6-30,6-43,6-50,6-52~53,6-62,6-77~78,6-81,6-261,6-275,6-280,6-393,7-34,7-54,7-56,7-74~75,7-78,7-132~134,7-151,7-335,7-345,8-9,8-69~70,8-106~107,8-109.

劉表の一族

No Data